メールへの依存

メールって依存するって知ってましたか?海外の方が口をそろえて言っていたことがあります。日本人は電車でも街中でもどこにいても常にケータイを見ている。友達がそばにいるのにそれでもケータイを見ている。更には会話の真っ最中であろうがなんであろうがケータイが最優先されていると。

日本に住んでいる外国人からみてこの光景は非常に不思議なんだ躁です。仕方がありません。これはれっきとした日本人特有の「みんなと同じ行動をとるのが好き」という条件にあてはまっているのですから。これらの光景の事を海外の方はあまり良いイメージには捉えていないんです。何故かと言うと非常に「モラルに欠けている」からです。

メールに依存している事を本人たちは知りません。ケータイがなくなってこそ初めて気がつくことができるでしょう。あるいみ社会現象の一つです。

日本人の面白いところ。

日本人は、日本人は・・・とよく聞きますがわれわれ日本人から見ても海外では変なところがたくさんありますよね。日本人はマナーに厳しいと言われていたのも一昔前のことだったのでしょう。最近では、iPhoneをはじめスマートフォンが社会現象の中心に位置されました。これは日本だけの事ではなく、海外の方たちもiPhoneに夢中なんです。何日も店頭に並んで手に入れようとするくらいですから、海外の方にケータイの事をもう言われたくありません。Iphoneのなにがいいのかわからない人だってたくさんいるなかで、日本に来ている外国人観光客にもiPhone片手に道を歩いている人がたくさんいます。これって、外国人が言っている「日本人はいつもケータイとにらめっこ」の意味とは少し違います。海外でもメールにすでに依存している人はたくさんいることでしょう。この話を聞くと、いつも同じことを思い出すのです

『百万回生きたねこ』

百万回生きたねこという絵本を知っていますか?

とある一匹の猫がいろんな人のもとで何回も生きては死に、生きては死に・・・と繰り返すのです。輪廻転生と言うのでしょうか。

ある時は手品師の元で飼われ、手品の失敗に巻き込まれて殺されてしまう、

あるときはおばあさんのもとで大切にされながらも死んでしまい、

あるときは戦争好きの王様のもとで戦争にまきこまれて死に・・・

さんざんな死に方を何回も繰り返している。

けれどもその猫は死ぬことをちっとも怖いことだと思わない。

なぜなら死ぬことに慣れているから。

しかし最後には、のらねことしてうまれてくるが

自由気ままに生きている中で

自分が想いを寄せたメス猫の死を目の前にして

とても悲しみ、泣き続ける毎日を送る。

やがてそのねこも死に、生き返ることはなかったというおはなし。

メル友が先か、ケータイが先か。

ケータイが身近にあることが当たり前で依存してることにも気付かない。失なっても新しく買い替えることができるからその大切さが意識できていない。けれども実はとても大切なもの。メールをすることに必死なんじゃなくて、一人だと言う事を無意識に意識したくないと思っている。それでいて孤独なんて怖くないと思っているのに、人間だれもが「孤独」を味わいたくないと思っていて、それをあえて実感するのが怖い。

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世にも奇妙なメル友迷宮伝説